ショッピングモール

日記

僕が幼少期をロードサイドのチェーン店と大きなショッピングモールによって成り立っている、つまりありふれた地方の郊外で過ごした。

風営法が緩い時代だったため照度の低いゲームセンターがショッピングモール内に併設されていて、そこにひとりで入れた際に自分自身の成長を感じた。

昔から僕にとってショッピングモールは特別な場所だ。

小学生の自分にはショッピングモールは一日では回りきれないくらい広くて、世界のすべてがここにあるように思えた。

小遣いを貯めてPS2のソフトを買いたいとゲーム売り場で思っていたのに、おもちゃ売り場で見つけた新しいベイブレードを我慢できずに買ってしまってPS2のソフトが遠のいた。

週末のショッピングモールでクラスの同級生とばったり会えた時、信じられないくらい心が高鳴った。ふたりでエレベーターに乗ったり、知らない鮮魚を眺める時間は冒険だった。

フードコートでお母さんに買ってもらったソフトクリームを帰りの車の中で食べることが楽しみだった。溶けたアイスが車のシートにこぼれてしまったことが、とても悲しかった。

当時の僕のすべての欲望の対象はショッピングモールの中にあった。いつかお母さんとお父さんに怒られずに、好きなものを好きなだけ買ってみたかった。

帰省した際、僕は幼少期の僕を探すためにショッピングモールに必ず立ち寄る。

将来の僕はショッピングモールで取り扱うおおよその商品は無計画に買えるんだよ。新作のゲームソフトも買えるし、お母さんに買ってもらっていたソフトクリームはお腹を壊すまでおかわりできるんだよ。

過去の自分にその事実を伝えることが、現在の自分の責務であるからだ。

だけど本当に欲しいものはここでは売っていなかった。もしかしたらお金じゃ買えないかもしれないんだ。

幼少期の僕にそう伝えることができたなら、今の僕はお金の付き合い方を違うものになったのだろうか。

僕は本質的には「ショッピングモールで好きなだけ買い物をしてみたい」と思っていた幼少期から、何も変わっていなかった。

多くを得ることが自分の幸せであると思い込んでいた。

過去の自分や周りの知人に比べて、相対的に多くを買えるようになった。それなのに孤独感を満たすことはできなかった。

その事実を過去の僕が知ったら、がっかりされちゃうのかな。

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